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原・石川研究室は材料・表面・化学・触媒を専門とするグループです。



年を取るたびに記憶力が薄れ、面白いと思ったこと、ものを忘れることが多くなりました。そこで備忘録を作ることにしました。記憶を失っても、この備忘録を読めば思い出せるかもしれません。

第6回 うらやましげなるもの 清少納言

雨宿りしていると、隣りの高校生達が盛り上げっていました。この人たち、おそらく、古典エッセイ枕草子の「うらやましげなるもの」をネタに楽しんでいる。凄すぎます。
枕草子は西暦1000年頃に活躍した偉大な歌人で当時の皇后の侍従「清少納言」のエッセイです。これは日本の高校生が学ぶべき古典として教科書に必ずと言っていいくらい収録されているエッセイですが、現代人が簡単に読める文章ではありません。それで盛り上がれる彼らは、かなり名のある高校生に違いない。あるいは彼らの先生が偉大なのか。

「うらやましげなるもの」は無数に思える鳥居が並ぶ京都が誇る名所「伏見稲荷神社」に清少納言が個人的に参拝したときの話です。皇后の侍従とはいえ、位の低い清少納言は、徒歩で宮中から神社に行くほかありません。しかも、宮中で働く彼女には体力がありません。朝の暗いうちから5マイル以上の距離を歩いて神社の麓にやっとたどり着き、山頂の神社に向かって山を登ってゆきます。しかし、後から来た人たちが自分を追い抜いていくのを見て、疲れ果てた清少納言は涙目で「どうしてこんな暑い日にお参りしたんだろう」と愚痴を言います。普段、気にもかけない人をこんなにも羨ましいと思うなんて。

後に歌仙(Immortal Poet)と称される清少納言の前で繰り広げられる、1000年以上も前の今日と変わらぬ雑踏、現代人と変わらぬ彼女の感覚に思わず微笑んでしまうのは私だけでしょうか。
最後に、清少納言が残した有名な随筆の英訳を記します。「春はあけぼの」ではじまる彼女のつぶやきは、英語にしても美しく感じます

“In spring, the dawnーwhen the slowly paling mountain rim is tinged with red, and wisps of faintly crimson-purple cloud float in the sky.” (Meredith McKinney 2006)

第5回 HEY ARNOLD!


今回紹介するのは「HEY ARNOLD!」。特に、Season 1, Episode 18「Arnold's Christmas」は米国が世界に誇るべき感動の名作だと私は思います。

わたしは以前に、米国のPenn Stateでポスドクとして働いていました。夕方、家に帰ってきたとき、テレビに映っていたのがNickelodeonのcartoon「HEY ARNOLD!」でした。絵柄からわかるように、コメディタッチでアーノルドと愉快な仲間たちがトラブルを起こしたり、トラブルに巻き込まれたり、トラブルを解決します。

私が感心したのは、それぞれのキャラクターの設定の面白さと深さです。アーノルドは素直でやさしいナイスガイですが、両親は行方不明で、賄い付きのアパートを経営する人の良いおじいちゃんとおばあちゃんと暮らしているという重い設定があります。なんだかんだ言って、最後までアーノルドに付き合う親友のGerald。同級生の超「ツンデレ」のHelga。ちなみに、ツンデレは西暦2005〜2006年以降で日本のマスメディアで使われるようになった概念であり、1996年に放送を始めたHEY ARNOLD!が典型的なツンデレキャラのHelgaを登場させたことは特筆すべき先進性です。

さて、この作品、全てのエピソードが面白いのですが、Season 1, Episode 18は特に多くの人に見てもらいたい話です。Arnold's Christmas」はWikipediaにも記載されているほどの名作なのですから。

アーノルドの祖父母が経営するアパートにはMr. Hyunhというベトナム出身のおじさんがいます。このおじさんには生き別れた娘がおり、その娘との再会をクリスマスプレゼントにしようとアーノルドが親友Geraldと共に奮闘するお話が「Arnold's Christmas」です。背景があまりにも重いため、製作、放映が困難を極めたこの作品は、製作者たちの不断の努力により、不動の名作として世に放たれました。

娘との再会というメインプロットは当然素晴らしいのですが、最大の見どころは、エピソードを締め括るHelgaの一言です。この一言で、このepisodeはViolet EvergardenのEpisode 10 “A Loved One Will Always Watch Over You”に勝るとも劣らない作品にまで昇華したと個人的に思っています。日本にもクリスマスにプレゼントを贈る習慣はありますが、その意義は欧米人に比べ、かなり希薄です。このような背景で育った私は、Mr. Hyunhにプレゼントを送れたことに喜ぶアーノルド達、そしてその彼らに最高のプレゼントを贈れた喜びをかみしめるHelgaが最高にクールだと思いました。

このエピソードは米国ではとても有名だと聞いています。しかし、この話はもっと全世界で広められるべき話だと思っています。

第4-3回 ガイウス・ユリウス・カエサル 「ガリア戦記」3

ガリア戦記は西欧を縦横無尽に駆け巡ったカエサルの記録でもあります。まず、スイスで難民問題に端を発した紛争をカエサルが片付けます。次に、ベルギーで大戦争をしてから、大西洋岸で海戦を交えた紛争を鎮圧し、ライン川を渡河して、ゲルマン人に脅しをかけます。泳いだり、船に乗ってライン川を渡河するのは、文明人たるローマ人のすることではない。ローマ人は橋を作り、堂々とその上を行進して対岸のゲルマン人の地に侵攻すべきだとの謎理論で、川幅の広いライン川に橋を架けてしまいます。かけた橋に満足し、「ゲルマン人がビビっているに違いない」と悦に入ります。

その後、海を渡ってイギリスに上陸し、ブリトン人と戦闘を繰り広げます。第二次世界大戦時の英国首相チャーチルは、カエサルの上陸によりイギリスの歴史が始まったと明言しました。このイギリスでの戦いあたりから、数多の歩兵戦、騎馬戦、戦車戦、海戦を交えた、指輪物語ばりの一大スペクタクルは、ガリア全土の大反乱を迎え、最終決戦「アレシアの戦い」というクライマックスに向かいます。ガリアの首魁ウェルキンゲトリクスが逃げ込んだアレシアの城塞都市を包囲するローマ軍を、さらに包囲攻撃するガリア軍。背と腹に大軍を受けた史上初の大規模二重包囲戦を制したのは、カエサルでした。この戦いの最後の場面は「ウェルキンゲトリクスは、自ら進んで捕らわれの身になった」の簡潔な文章だけで結ばれている。そしてカエサル自身が著述したガリア戦記は、「この年の戦果を知るや、ローマでは20日間の神々への感謝祭が決定された」の淡々とした記述で終わっています。

この一大創作のような戦記を生み出したカエサルの最後で、ガリア戦記の紹介を終わりにします。暗殺されたカエサルの遺体は
テヴェレ川の畔で荼毘に伏されました。火勢が弱まり、参列した人々がカエサルの遺灰を集めようとしたそのとき、突然の激しいにわか雨が遺灰をテヴェレ川に流し、消えてしまいました。彼は人間だったのでしょうか。


4-2回 ガイウス・ユリウス・カエサル 「ガリア戦記」2

ガリア戦記は、カエサルが元老院に送った報告書です。このため、カエサルが三人称で表され、「カエサルは―と判断した。」とか「カエサルは―を攻撃した。」という文体になっています。当時はケルト人、ゲルマン人がローマ領や西欧ガリアのローマの友好都市を攻撃する不安定な時代であり、ガリアを安定化するために元老院が派遣したのがカエサルでした。したがって、現代と同じように毎年の報告書提出がカエサルの義務でした。

ガリア戦記のデフォルトは、西欧全体の状況説明、事案の発生原因、戦略と軍団の移動、戦場の説明、戦闘準備、戦闘、戦後処理を卓越した文体で客観的に記述する形式です。戦場の説明と戦闘準備は学術論文のように地形、城塞、攻城設備が淡々とではあるが詳細に記述されいます。そして、戦闘の記述には生き生きとした描写が加わります。「カエサルは味方の兵から盾をもぎ取ると、それをかざして最前線まで走り、百人隊長達の名を呼んだ。」ライバル同士の百人隊長2名が功名を争い窮地に陥るも、2人が協力して危機を脱する場面に喝采する兵士達。戦闘中に慢心で深追いして壊滅しかけた部隊を救い、その勇気を称えながらも慢心を叱責し、再び戦場へ戻るカエサルと兵士達。このような息をのむ描写が時間を忘れさせ、いつの間にか戦闘が終了しているのです。特別企画としては、ガリア、ゲルマニアの文化、社会、人の説明し比較と考察を深めることもあれば、ブリテン島の1日の長さの測定といった科学的記述もあります。

さて、この報告書の内容が民衆に伝わることを知っていたあざといカエサルは、随所に自慢をエレガントに織り込んでいます。あまりにも多いので一つだけを紹介します。「元老院はカエサルの功績を称え、(これまでの感謝祭の最長期間は政敵ポンペイウスの7日であったが)15日間の公的な感謝祭supplicatioを祝うことを決定した。」彼が本当に言いたかったのはカッコ内の文章を加えた全文ですが、下品な自慢を嫌う彼はカッコ内を書かなったという塩野七海先生の意見に私は賛成です。

第4-1回 ガイウス・ユリウス・カエサル 「ガリア戦記」


第4回はガイウス・ユリウス・カエサル(BC100-BC44)、俗にシーザーと呼ばれる男の「ガリア戦記」人間的な魅力に満ち溢れた借金、色恋沙汰、商売、政治、戦争、文芸の超越者がローマ元老院に送った報告書の話。

ガリア戦記の著者カエサルは魅力が尽きない人物です。塩野七海先生は、ローマ1200年の盛衰を描いた超大作「ローマ人の物語」全15巻で2巻をこのカエサルに割いています。両腕を頭の後ろで組んで、裸馬でローマの坂を駆け下りていた少年は、多くの分野で異彩を放ちました。



借金:カエサルは、負債が余りにも大きくなると、債務者は債権者にとって失うことができない財産になることを教えてくれた。外国の任地に赴く前に、債権者たちが大勢押しかけ、金を返すまで任地にはいかせないとカエサルの出発を阻止した。債権者たちを宥めたのは、カエサルが最も多く借金をしているクラッススであった。

色恋沙汰:多くの元老院議員の夫人がカエサルの愛人であった。このことは公知であったため、不倫とは受け取られなかったようである。多くの愛人がいたのにもかかわらず、愛人たちから恨まれたことはなったという。当時、絶世の美女とうたわれた女性とカエサルとの間に、全く色恋沙汰の話がないのは、彼が美女ならだれでもよいという人ではないことを示唆している。カエサルを暗殺したブルータスの母親は、カエサルの愛人の一人だった。彼女はどのような気持ちでカエサルの死を聞いたのであろうか。

政治と制度:ローマでは持ち出すたびに混乱、死者、政権交代が起きる「農地法」を与党・野党協賛のような形で成立させてしまった。また4年ごとに閏年を入れる1年365日のユリウス暦を制定。それまで密室の会議であった元老院議会の議事録の即日公表。公務員法の策定。

商売:結構すごい。いつの間にか、かれは債務者から債権者にジョブチェンジしていた。カエサルの凱旋式の行進では、彼に付き従う軍団兵からコミカルなシュプレヒコールが一斉に上がった。「ローマ人たちよ、戸締りをせよ、金のないやつは気をつけろ。」ローマの凱旋式では、神々が凱旋式の主役に嫉妬しないように、軍団兵が凱旋将軍をこき下ろすシュプレヒコールを上げるのが習わしだった。「あまりにもひどすぎないか?」とカエサルから軍団兵達に文句を言う一幕もあったが、彼を愛する軍団兵は「当然の権利」として取り合わなかった。

戦争:
カエサルは常勝の将軍ではない。負けるときは負ける。しかし、どれほど劣勢でも、ここぞというときは必ず勝つ。アレクサンダー大王が発明し、ハンニバルが再発見し、スキピオが完成させた「機動包囲殲滅戦」を、劣勢ながらファルサスで破った天才である。

文学:カエサル以前、ラテン語はギリシア語に比べて粗削りな部分があり、上流階級や学者はギリシア語を使う傾向が強かった。しかし、カエサルは卓越した文体による客観的で簡潔な記述、生き生きとした描写力、そして政治的な意図を巧みに織り込んだ巧妙さをラテン語で達成した。それが「ガリア戦記」である。ちなみに、このガリア戦記はカエサルの時代から2000年以上経過した現代でも、全世界で重版を重ねている。このような文筆家の夢まで叶えてしまった超人、それがカエサルである。


第3回 ともつか治臣 「令和のダラさん」

 
 大学教授が漫画を読むのかと聞かれることがあります。もちろん読みます。書店に行くことが少なくなり、書店に行っても、ビニール袋でカバーされ、漫画の内容を確認できない。あるいは電子書籍でも、その面白さがわかる長さまで試し読みができない。そのような現状で、自分が好きになれる漫画に出会うことはかなり難しくなっています。

 
 そんな中、見つけたのが、ともつか治臣先生の「令和のダラさん」です。

 姦姦蛇螺というネットホラーをご存じでしょうか。ある村からの依頼で、心優しき巫女が怪物の大蛇と戦い、蛇の魔物となってしまう話です。依頼した村人の策略によって、命を落とし、魔物となってしまう巫女さんの話に一抹の寂しさを私は感じていました。救いがないのです。

 そんな元巫女の魔物の現代を描くホラー&コメディが「令和のダラさん」です。この作品では、邪悪な人間も登場しますが、それはごく少数です。上記の村の末裔達も登場しますが、この元巫女さんを取り巻く人たちは、お人好しの善人ばかりです。もっとも、登場人物の中には怪しげな風体な人、目つきが悪そうな人も数多くいますが、ご安心を。善人ばかりです。なお、ともつか先生はこの作品を「美少女が描く、美少女しか出てこない、美少女漫画」と評しています。

 いずれにせよ、私はこの作品で「姦姦蛇螺」が救われていることに安堵しています。


第二回 アン・マキャフリー 「歌う船」(The Ship Who Sang)


 英語題名を見て、これおかしくね?の感想をもつ日本人は多いのではないでしょうか。船なのになぜ関係代名詞が「who」なの?「which」、「that」が正しいのでは?この物語ではwhoが正しいです。なぜなら......。

 アン・マキャフリーの「歌う船」は、恒星間移動が当たり前の時代の話です。この世界では、重度の障害で生命を維持できない新生児がサイボーグとして生きることを親が選択できます。分厚いチタニウムの外殻で保護された新生児は、その中で成長し、外殻の端子に接続されたセンサー、アクチュエーターで健常児と変わらぬ成長を遂げます。このことから、彼らはシェル・パーソンと呼ばれています。面白いのは、シェル・パーソンが非サイボーグの一般人を「少し不便な人たち」として見ていることです。


 シェル・パーソンのヘルヴァは、能力・適性の高さから恒星間連合国家の宇宙船の運航を選んだティーンエイジャーです。この恒星間宇宙船はシェル・パーソン(頭脳「Brain」)と乗組員(筋肉「Brawn」)のツーマンセルで運用されるため、2B船(Brain-Brawn ship) と呼ばれています。そしてヘルヴァは茶目っ気のある若い宇宙飛行士ジェナンに一目惚れし、彼をBrawnとして宇宙を駆けます。

 宇宙を駆けながら歌うのが好きなヘルヴァは歌を傍受した多くの人から変な「歌う船」と嘲られます。意気消沈するヘルヴァをジェナンが「美しい。止めることはない。」と励まし続けます。そして彼らが単独で海賊団を撃破した時、「歌う船」は賞賛に変わります。しかし、順風満帆の彼らを悲劇が襲います。避難民の輸送任務中、ヘルヴァは目の前でジェナンを失ってしまうのです。

 多くの人は私がネタバレをしていると考えているでしょう。ご安心ください。ここまでがイントロダクションです。悲しみに沈む彼女に次々と臨時のBrawnをあてがい、様々な任務を与える恒星間連合国家。これは、国家が非情なのではなく、誰かの優しい配慮です。文句を言いながらも、Brawnと共に悩み、一生懸命に任務をこなしていくヘルヴァ。多くの事件、出会い、別れが彼女を強くしていきます。

 読み終えて思うのは、この作品が働く女の純粋なラブロマンスであり、SFが舞台とディテールに一層の拡がりと深みを与えていることです。ハッピーエンドに「本当に良かった。」と満足できる作品の一つではないでしょうか。

 この作品で驚くのが、1961-1969の間に発表されたされた作品とは思えない程の新鮮さです。SFだから時代を感じさせないのは当然との意見もありますが、巨匠の作品でも執筆された時代を反映した記述は多く見られるものです。しかし、「歌う船」ではそのような時代背景をほとんど、あるいは全く感じることがありませんでした。名作は色褪せないとはまさにこの作品に当てはまるのではないでしょうか。
 
 「歌う船」は日本の漫画、アニメ、ライトノベルに大きな影響を与えたと考えられています。それは機械の体のヒロイン像です。この作品以降、同様の設定をもつ作品が当たり前になったと評されています。

 最後に一つ。ヘルヴァのコードネームは「The ship who sings」。本作品のタイトルは「The Ship Who Sang 」。こんなところからも、作者のセンスの高さが感じられます。この作品が米国の誇る著作の一つではないでしょうか


第一回 H. P. ラヴクラフト(1890-1937)


私は漫画を含めた多くの著作が好きです。その中から、お気に入りの作家を紹介します。中二病を患った方のほどんどが知っているH. P. ラヴクラフトです。米国屈指の作家の一人だと私は思っています。
彼は、友人への手紙でこう記しています。「私には、フランケンシュタインや狼男が怖いものには思えないのです。」H. P. ラヴクラフトの著作を読むと、彼が、恐怖の対象を具体的に表記しないことがどれほど恐ろしいかを示した先駆者・天才であることがわかります。映画The Blair Witch Projectとか、小説「リング」の恐怖に通じるものがあります。
手紙魔の彼は友人に次のような手紙を送っています。「私は旅行が好きです。しかし、お金があるときは体調が悪く、体調が良いときにはお金がありません。旅行を楽しむことができないのです。」ラヴクラフトは不遇のまま生涯を終えました。しかし、現在では、世界中で多くの人が彼の著作を愛読していること、彼とその弟子の作品をモチーフにしたゲームが毎年のように発表されていることが彼の魂の救いになっているかもしれません