年を取るたびに記憶力が薄れ、面白いと思ったこと、ものを忘れることが多くなりました。そこで備忘録を作ることにしました。記憶を失っても、この備忘録を読めば思い出せるかもしれません。
日本語で山男と書けば、ほとんどの日本人は登山家ととらえます。一方、「山女」と書くと、あまりにも適用範囲が広くなってしまいます。山女は山に関わる職業の女性、山で活動する女性を指す言葉であるので、アルピニスト、山ガール、修験者、林業女子が山女にカテゴライズされます。しかし、山姫、山姥といった妖怪まで山女に分類されるのはいかがなものでしょうか。
山姫、山姥を無理に英訳すればそれぞれ、mountain princess、mountain old womanとなりますが、そんな生易しいものではありません。前者はevil young witchで後者はevil old witchです。どちらも人を積極的に殺めたり食べたりするのが好きな妖怪です。一見、山姫は髪が地面まで届く美しい女性である分、山姥よりましに見えますが、血を吸う、大声で笑うを含め、尋常ではない動きをするので山では会いたくない妖怪でしょう。
ちなみに、日本の山神様は女性と考えられています。白山信仰の中心は菊理媛命、富士山は木花之佐久夜毘売といった超大物女神が山と関係が深いことからも、この説はうなずけます。女性が山に入ることを禁忌としている山もありますが、これは女性を蔑視しているわけではありません。山神様が女性なので、女性が山に入るのを嫉妬するからだといわれています。このように考えてみると、日本では神、妖怪、人に関わらず山と女性には切っても切れぬ縁があるようです。
第17回 チビの鼻助(Der Zwerg Nase)
ドワーフとガチョウのコンビが織りなす元祖キッチンバトル童話
日本では全く有名ではない童話の一つにチビの鼻助(Der Zwerg Nase)があります。私は幼いころにこの童話を読んだのですが、グリム童話、ペロー童話、アンデルセン童話のいずれにもなく、あの童話は何だったのかと思っておりました。その憂いを一挙に解決したのAIでした。
この話はヴィルヘルム・ハウフ(Wilhelm Hauff)が19世紀に創作した童話です。童話には伝承をまとめた童話と創作した童話の2種類があり、グリム童話、ペロー童話は前者の伝承由来、アンデルセン童話は創作です。
創作童話だけあって、この話のプロットは複雑です。ドイツの靴屋の息子、12歳の少年ヤコブはある日、母親の店を荒らしている老婆に文句を言います。老婆はヤコブを自分の家に連れて行き、スープを彼に振舞います。スープを飲んだ彼は寝込んでしまい、7年間、料理の修行をする夢を見ます。かれは、夢の中で見つけたハーブの香りで目覚めましたが、彼が自宅に帰ると家族たちが家に入れてくれません。ヤコブは大きな鼻のドワーフに変身してしまったからです。
仕方なく彼は宮殿の厨房で働き、その腕前を貴族たちに披露することによって、料理人の道を駆け上がることになります。悲劇が転じて「リトルロングノーズ」の二つ名を得た彼にサクセスストーリーが訪れます。
さて、厨房での地位を高めた彼。ある日3羽のガチョウを料理用に購入します。そのうちの一羽が食べられないように人語で語りだします。このガチョウはスウェーデン・ゴッドランド島の魔法使いの娘のミミ(Mimi)であり、呪いでガチョウに変えられてしまったとのこと、また、ヤコブがもとに姿に戻るためには、彼が夢の中で見たハーブの香りをかがなければならないことを告げます。
ここから、ハーブがかかわる話に移ります。ある日、ヤコブの主が開催した宴で、客が出されたパテに文句を言いました。このパテには不可欠なハーブが入っていないと。ひどくプライドを傷つけられた主人はヤコブにそのハーブを入れたパテを作り直さねば首を切り落とすと脅します。
ここで再びミミが活躍。一緒になってハーブを見つけ出し、その香りでヤコブは元の姿に戻ります。ただし、年月が経っているので青年になっていましたが。その後、なんやかんやでミミも元の姿に戻り、大団円を迎えます。なお、ヤコブはそのまま戻らなかったので、主人と客人の間で戦争が勃発します。その名も「ハーブ戦争」。
さて、私がこの話が好きな理由の一つは、ヤコブやミミが魔法とかの超常の力をもたない、ただの人間だということです。ヤコブの料理能力は自分で鍛えた能力。ミミは知識があるだけで魔力は持たない普通の娘。こんな二人が不便な体で奮闘する姿を微笑まずに見ることができません。
2人がどうなったかって?気になる方は、https://www.youtube.com/watch?v=5cdDnKMJiQM&pp=ygUZZGVyIHp3ZXJnIG5hc2Uga2luZGVyZmlsbQ%3D%3Dとかhttps://www.youtube.com/watch?v=tl2B8Bgshk0&pp=ygUZZGVyIHp3ZXJnIG5hc2Uga2luZGVyZmlsbQ%3D%3Dとかを見ていただければ幸いかと。
第16回 新竹その2
さて、今回の出張では、見た目がショッキングだが、とてもおいしい台湾の食べ物に感動しました。
まずは、温かい赤い液体に浸る太麺。激辛かと口に運べば、トマトのさわやかな酸味と複雑なうまみがおいしいスープ。中には牛の筋肉の大きな塊も入っており、真昼間から満たされてしまいました。どうやら、番茄牛肉麺という一品であり、日本でも食べることができるみたいです。私の家の近くには横浜中華街という東洋で最大規模の中華街があるので、近々、一度食べたら病みつきになるこの一品を求めて徘徊したいと考えています。
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そして、その晩に驚愕したのが写真に写る赤い球体。アジアの食べ物なら大概の食べ方がわかっているつもりでしたが、甘かった。この球体に関しては材質も食べ方も全く想像できませんでした。これはどうやら「溫體牛蔬果湯頭」という鍋料理らしいです。まず、牛肉を処理の仕方が通常と異なるそうです。特別な処理をした薄い牛肉を丁寧に重ねて丸めた結果がこの赤い球体となります。この球体から、薄い牛肉を引きはがし、お椀に入れる。そして、野菜を含めた様々な具材で煮立ったスープをそのお椀に注ぎ、一呼吸おいてから応しい色に変化した牛肉を食します。しゃぶしゃぶの逆転させたような料理ですが、とにかくおいしかったです。残念ながら、この鍋料理を日本で簡単に食べることはできなさそうです。
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第15回 オスカー・ワイルド「幸福の王子」
子供のころ、私は童話「幸福の王子」はアンデルセン童話だと勘違いしていました。この名作の作者がアイルランドの皮肉屋オスカー・ワイルドと知った時の驚きは今でも覚えています。
To live is the rarest thing in the world. Most people exist, that
is all.
生きることはこの世で最も稀なことだ。ほとんどはただ存在するだけだ。
She lacks the indefinable charm of weakness.
彼女は弱さという名状しがたい魅力に欠けている。
Consistency is the last refuge of the unimaginative.
一貫性とは想像力のない人間の最後の避難所である。
真理を突いているが、こんなことを平然と言う人は私にとってかなり苦手な部類の人です。
戯曲「サロメ」も彼の作品です。ヘロデ王の王女サロメは、イエス・キリストを洗礼したヨハネにキスをしたいという欲望にかられます。しかし全くこれに取り合わないヨハネの首を切り落とすように父のヘロデ王に懇願します。その後、銀の盆の上にヨハネの首をのせ、サロメがキスをするという衝撃の場面。この姿を見たヘロデ王はサロメを殺してしまうことでこのお話は終わります。誰もが不幸になる話です。
この作者が感動的なラストシーンの幸福の王子の作者と同一人物であることが信じられなかった私に大きな非があるとは言えないのではないでしょうか。
話を「幸せの王子」に戻しましょう。この話は王子の魂が宿った黄金や宝石で装飾された像(心臓は鉛製)が、街中の人々の苦痛の静かに見つめることで始まります。彼らの苦しみを和らげるため、動くことができるつばめに頼み込み、自身の高価な部分を苦しむ人たちに分け与えます。私が何度読んでも落涙するのはつばめです。当初、王子の計画につばめはあまり乗り気ではないようでした。それはそうでしょう。つばめにとって人間の生活は関係ないから。しかし、もはや南に渡る時機を逸し、確実に命を落とすことがわかっても、王子にはそれを言わず、ただただ人を助けるために飛びます。寒さでつばめが命を落とす瞬間、つばめが王子のために働いた理由がわかります。
オスカー・ワイルドは華々しい登場で、派手に活躍をしました。その派手な最盛期に書かれたのが「幸福の王子」です。しかし、彼はその奔放な性格と生活から身を崩し、破産、投獄の後、誰からも見捨てられて、放浪先のホテルで亡くなりました。しかし、彼の本質は「幸福の王子」のラストシーンにあるように思えてなりません。ゴミ箱に捨てられたつばめの骸と王子の鉛の心臓。神様からこの世で最も美しいものをもってくるように命じられた天使が向かったのはこのゴミ箱でした。
第14回 新竹
仕事柄、海外出張は多いのですが、体調を崩して帰ってくることがほとんどです。しかし、今回は絶好調で帰国できたので、台湾の新竹を紹介します。
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夜に到着し、巨大な摩天楼が一部屋一部屋が大きな住宅と知り、驚愕しました。その後、連れて行ったもらった店は多くの家族とカップルで満員の「Din Tai Fung」。そこで食べたサツマイモの葉の炒め物は絶品です。小籠包を含めたおなじみの料理もおいしいのですが、サツマイモの葉の炒め物はそれだけで十分に満足できる一品です。Din Tai Fungは日本にもありますので、もし、これが日本で食べれるなら、嬉しいですが。新竹の教授たちが勧める酸っぱく、辛い麵料理も最高でした。.jpg)
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翌朝、稀な絶好調で宿泊しているホテルを下から見上げる。ホテルのサービスや装備に全くのストレスを感じないのが台湾であるということを改めて実感しました。この新竹、学術・技術で最先端を行く地域であり、有名大学2校が軒を連ねています。
第13回 オールスターの祭典「巫女の予言」

マーベルコミックのマイティ・ソーやロキ、「ダンまち」のフレイヤ、「ああっ女神さまっ」のノルニル、ワルキューレといった日本でも超有名な神様達が総出演したり、世界樹イグドラシル、神々の黄昏ラグナロック、フェンリル狼、世界蛇ヨルムンガンドといった中二心をくすぐるワードが随所に鏤められた北欧神話の凝縮体「巫女の予言(Völuspá)」を紹介します。
なお、この話は巫女ヴォルヴァの語りという表現もありますが、ヴォルヴァ(völva)は女の予言者のことであり、名ではありません。彼女の名はヘイズル(Heiðr)と考えられており、女神フレイヤと同一視される存在です。
巫女が世界の創生から、神々のほとんどが滅ぶ未来までを北欧神話の主神オーディンに語るこの詩は、壮大な北欧神話体系をまとめるだけでなく、今は失われた神々のエピソードをほのめかす点で魅力の尽きない作品です。
例えば、3人の強力な女の巨人が現れることによって、神々の平和な暮らしが終わったという記述があります。この3柱の女巨人はウルズ、ヴェルザンディー、スクルドのノルニルと考えられています。神々でさえ抗えない運命を決める3柱は神々を上回る存在であることを考えると、納得の考察です。なお、コミックと同様に3女のスクルドは短気で過激です。彼女の短気で「ノルナゲスト」という有名な物語も生まれました。
ラグナロックでは、巫女から話を聞いているオーディンはフェンリルに丸呑みされて死亡。マイティ・ソーはヨルムンガンドと相打ち。最後には火を放たれ、神々の国は焼け落ちます。この予言にオーディンはがっくりと肩を落として帰っていったそうです。
なお、この戦に備えるため、オーディンは戦死した勇者の霊をワルキューレ達に集めさせ、彼らをヴァルハラで待機させています。彼女たちが戦死者たちの魂を集めるときの様子は「ワルキューレの騎行」を聞いていただければわかるかと。
私が気になるのは巫女のヘイズルさんです。彼女が愛と美と奔放のシンボルのフレイヤならば、フレイヤには今は忘れられた別の一面があるのかもしれません。
なお、日本語で「巫女の予言」を読みたい方はhttps://www.asahi-net.or.jp/~aw2t-itu/onmyth/poeticedda/volspa.htmへ、原文と英語で楽しみたい方はhttps://books.openbookpublishers.com/10.11647/obp.0308/ch1.xhtmlでお楽しみください。
第12回 イソップ
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わからないことだらけのみんなが知っている実在した超有名人「イソップ」を紹介します。
多くの人がイソップの名を聞いたことがあるでしょう。かのイソップ童話の作者と思われているその男を検索すると、何とも言えない中年男性の肖像画を目にすることになるでしょう。こんなにも有名なのに、この人物は分からないことだらけです。
まず、この男、かのヘロドトスの『歴史』に奴隷出身としっかりと記されているほどの有名且つ実在した人物です。全ての学問の祖、哲学者であり、アレクサンダー大王の家庭教師を務めたアリストテレスもイソップを記述しています。それでいて、イソップ童話の中でイソップが作者と認められている話は何一つありません。さらに謎なのは、このうだつの上がらない男の恋人はRhodopisという美女と考えられています。このRhodopisの存在もさらに謎に拍車をかけています。彼女は奴隷から身を起こし、大金持ちになったのち、デルポイの神殿にとんでもない量の鉄串を奉納したと伝えれています。
関係者を含めた全てが謎だらけの実在した男、イソップには興味が尽きません。
第11回 Rugrats
今回はRugratsです。
実は、赤ちゃん達は言葉を理解しており、お互いに会話している。3歳時ぐらいまでは赤ちゃんの言葉がわかるので、大人と赤ちゃんの両方とコミュニケーションが取れるバイリンガル。Rugratsはそんな面白設定の米国アニメです。大人の言葉がわかる赤ちゃんという設定ですが、さすが、人生経験の少ない赤ちゃんだけあって、言葉を曲解して大騒動に発展することが度々あります。しかし、彼らの勇気と知恵と友情が何事もなかったかのように問題を解決します。
赤ちゃんの視点で画面が構成されることも多く、「よくこんなことが考えられるな」と感心してしまいます。子供のころ、家や家具が大きく見えた覚えのある方も多いのではないでしょうか。このアニメでは、オープニングからこのような赤ちゃんの視点が楽しめます。
それぞれのキャラクターの設定、描写も楽しく、付き合えば付き合うほど好きになるのがRugratsの登場人達です。まずは主役のトミー。最年少ながらリーダー格のおむつの赤ちゃんです。その風貌は、アニメ絵の中で育った日本人には多少の違和感がありますが、話数を重ねるにつれて可愛さが増していきます。また、トミーより年上の親戚チャッキーが、アレルギーのためにつらい生活を送っている場面も描写されています。こういったディテールの深さが米国アニメの良さであり、登場人物たちへの感情移入を高めるのに大きな効果を発揮しています。
Rugratsで特に印象に残っているシーンは、真昼間の校庭のど真ん中にいるトミーの視点です。広大な砂漠の中にいる絶望感が真に迫っていました。
この作品はコメディーであるだけでなく、ちょっとした表現が意味深いことも多々あります。トミーの親たちが九本の枝を持つ燭台を準備する場面があります。日本人には何のことか全く見当がつきませんが、この場面だけで、彼らのことが欧米人にはわかります。
Rugratsは赤ちゃんの騒動のコメディーですが、それを上回るメッセージをもつかもしれないというのは私の考えすぎでしょうか?
第10回 ウォシャウスキー (サラ・パレツキー)
今回はハードボイルドヒロイン V.I.ウォシャウスキーを紹介します。
ハードボイルドな女性を挙げよと言われれば、私はGrand Duchess Sofia、Caterina Sforza、Tomoe Gozenたちを思い浮かびますが、その生き様は現実離れしています。彼らに対して、非実在のV. I. Warshawskiの方がよっぽど実在している人間のように思えてしまいます。
V. I. Warshawski はSara
Paretskyが生み出した元弁護士でバツイチの私立探偵です。事件の調査を依頼され、とんでもない犯罪の巻き込まれ、殺人事件が起こる中、彼女は犯人と対決することになります。拳銃をもち、長身で空手を習得した彼女は、荒事にも強いですが、半死半生の目に合うこともしばしばです。しかし、どんな目にあっても自分を曲げずに立ち上がり、悪と対峙する生き様は多くの人たちから支持を集めています。
こんな風に彼女のことを紹介すると、「なんだ、やっぱり非実在の人ではないか」という人もいるでしょう。しかし、Sara Paretsky の描写がV.
I. Warshawskiを現実味のある人にしています。料理が好きで、家事ができないわけでもない彼女は片づけるのが苦手。捜査や大立ち回りをして疲れたてて帰ってきた部屋に散らばる衣類やごみにため息をつくV・I。父親の友人の説教や別れた彼氏を思い、落ち込むV・I。傍目で見ると、V・Iは直情径行の近づきがたいハードボイルドな探偵ですが、そのディテールからは嫌いになれない人物です。
第9回 小さなバイキング ビッケ(ルーネル・ヨンソン)

今回はONE PIECEの作者が子供のころに大きな影響を受けたルーネル・ヨンソン作「小さなバイキング ビッケ」を紹介します。
この作品は海洋冒険童話の金字塔であり、世界中で愛されてきました。説明する必要のないくらい有名な童話ですが、時代背景、インパクトの大きさを考えると、興味の尽きない作品なので、改めて紹介します。
ONE PIECEの作者が子供のころに大きな影響を受けた「小さなバイキング ビッケ」の詳細を知りたい海外の方は、ChatGPTに母国語で尋ねればよいかと思います。なお、ドイツと日本の合作アニメは世界中で放映されましたが、なぜか本家本元のスウェーデンでは放送されなかったという経緯があります。
まず、ヴァイキングは海賊のように言われることもありますが、勇猛果敢な海洋民族といった方が実態に近いでしょう。彼らは、冒険心の強さ、高度な航行術と船舶、強靭な体により、北欧―黒海―コンスタンチノープルまでの通商路を造り、地中海に至ったり、グリーンランド、アイスランド、北米まで足を延ばしました。小さなバイキングビッケが放送された時、ビッケ一行が北米に上陸し、現地の人と交流する話を見たとき、「これはさすがにないだろう」と子供ながらに思いました。しかしこれは間違い。放映が始まるかなり前の1960年にカナダ東部の
L'Anse aux Meadowsの遺跡が発見されたことにより、ヴァイキングがコロンブスよりはるか前にアメリカ大陸に至ったヨーロッパ人であることが証明されています。
ちなみにヴァイキングと言っても一枚板ではなく、デンマーク系のDaner、ノルウェー系のNorsemen、そしてスウェーデン系のSveansに分かれます。我らがビッケはおそらく作者の母国スウェーデンのSveansだと思われます。何せ、敵役がノルウェーのバイキングですから。
流石、ドイツとの合作だけのことはあり、アニメのビッケ達は原作の挿絵をベースにデザインされています。ビッケはearly teen以下の年齢のかわいく、おとなしい少年です。彼の身体的な能力は、同世代の男の子たちのそれに比べて低いのですが、彼の強みは思考、知恵とそれらを実現する力にあります。かれはヴァイキング一団を率いる族長の一人息子で、大人たちから可愛がられ、大切にされています。ビッケだけが身に着けているスケイルアーマーからも、彼がいかに大切にされているかがわかります。一族の大人のヴァイキングたちは戦時でも私服です。なお、戦時に私服の描写はやりすぎで、如何に屈強・勇敢な彼らでも、戦時にはチェーンメイルを着用していました。
このビッケ一行は、ローマ帝国領土を上回る広大な範囲を冒険します。待ち受けるは彼らより圧倒的に強い大自然や敵対勢力の脅威。絶体絶命の状況の中、勇気はあるが、力が強くないビッケは知恵を絞り、奇想天外な方法を仲間たちと実現し、難局を乗り越えていきます。Vicke
Vikingは「航海」「仲間」「友情」「冒険」の王道を進みながら、ヴァイキングらしからぬビッケの魅力無くして成立しない物語です。これは、ヴァイキングの国の人しかできない発想なのではないでしょうか。
この童話の中で面白く思った部分のごく一部を紹介することで筆をおきます。それはビッケたちが英国を襲うヴァイキングたちを懲らしめるという話です。映画The
Secret of Kellsにも描かれているように、英国、アイルランドはヴァイキングの襲撃に悩まされ続けた国でした。これら国の人達は「ビッケ達も侵略者の一味じゃないか!」と怒ることもあるかと。しかし、Runer
Jonssonは史実から彼の母国のスウェーデン系ヴァイキングSveansは英国、アイルランドを襲撃していないと考え、この話を作ったようです。実際、Sveansはロシアを経由したユーラシア大陸の南下をしており、英国、アイルランドの襲撃にはかかわっていないと考えられます。この襲撃の主体はNosemenであり、お話の中でもノルウェーのヴァイキングが悪役となっています。こんなところにも隣国との微妙な関係が表れているのが私には楽しく思えます。
第8回 アレクサンドロス東征記

今回は若きリーダーが大帝国を築いた記録「アレクサンドロス東征記」を紹介します。アレクサンドロス3世の部下が残した記録を元に書かれた本書は、単なる記録ではありません。
善政を敷いた君主が暗君に変わる。リーダシップをとっていた人が、いつの間にか皆から疎まれるようになる。こんな話を聞いたり、実感した人は多いでしょう。アレクサンドロス大王がギリシアからインドの手前までの大帝国を築いた時の壮大な記録「アレクサンドロス東征記」を読み終えた後、このような感想を抱く人がいるのではないでしょうか。
度重なるペルシア帝国によるギリシア侵攻に若きリーダーAlexは憤りを感じる。まず、ギリシアが一丸となってペルシアに抵抗するための邪魔者たちを排除し、ギリシアを統一してしまう。彼にかかれば、スパルタ人ですら手も足も出ない。
次に、ペルシアの手が伸びた中近東を制覇。そのままペルシアになだれ込む。ガウガメラでは史上初の機動包囲戦術を編み出し、25万のペルシア軍に対して5万の兵で圧勝する。なお、この革新的戦術は現代でも通用する殲滅戦のドクトリンであり、軍事大学での教材である。その後、彼はユーラシア大陸の東岸に立つことを夢見て、西アジア一帯を制覇して、インドへと侵攻する。ここで嫌気がさしたギリシア将兵たちの反発により、東征をあきらめ、バビロンに戻ってすぐに亡くなった。まだ32歳の若さだった。部下の反発がなければ、中国の東岸、もしかしたら日本にも彼は足を運んだかもしれません。
この記録が「アレクサンドロス東征記」です。彼の部下で、エジプトのプトレマイオス朝を開いたプトレマイオス一世が書いた「アレクサンドロス大王伝」をアッリアノスが再編纂したのが本書であり、歴史的価値が極めて高い記録の扱いを受けています。ちなみに、プトレマイオス一世の子孫が彼のクレオパトラ(七世)。残念なことに種本「アレクサンドロス大王伝」はアレキサンドリアの大図書館が焼失時に失われてしまいました。なお、その原因はクレオパトラとユリウス・カエサル(ガリア戦記を参照)の連合軍がクレオパトラの弟と戦った時の戦火です。因縁とは面白い。
さて、本書の価値は歴史的価値の高さだけではありません。アレックスの行動、部下達との口論、ギリシア時代からの部下の離反とそれに対する処置の記録は、彼の心理の変化を余すことなく伝えることに成功しています。
ギリシア人のリーダーとして軍を率いるアレックス。部下たちを友と思い、そう呼びました。ペルシアの大王ダレイオスが戦場から逃亡し、残され捕まった彼の妃や家族たちを丁重に扱ったアレックス。この妃が、年齢が高いアレックスの部下をアレックスと勘違いしてお礼を述べ、間違いに気づいて赤面しているところを、ジョークを飛ばして気にするなと言うアレックス。なんて魅力的なリーダーなのだろう。こういったことは、かのアリストテレスがアレックスの家庭教師だったことを我々にまじまじと実感させます。
しかし、西方と東方の文化の違いが悲劇を生みます。ギリシアでは神と人は異なる存在です。神と人の子が王家の発祥となりましたが、神と人の子は人です。そして、同じ人である限り、人は跪いて人を神としては崇めない。もちろん、人が死ねば、その人を神として崇めることはよくあることですが。一方、東方では、人が生きている人を神として崇め、跪く習慣がありました。「アレクサンドロス東征記」の中盤以降では頻繁に次のような記述が現れます。しかも、苦々しげに。「負けたこの地の人々はアレックスに取り入ろうとして、彼の前で跪いて拝んだ」彼もこのような扱いを好み、ギリシア人に跪拝を求めるようになりました。このころから、ギリシア人部下との口論、それに伴う殺傷沙汰が目立つようになり、彼らの離反やアレックスの暗殺未遂事件が起こります。
なお、アレックス最大の暴挙と呼ばれるペルセポリスの略奪、虐殺、破壊に関して、「アレクサンドロス東征記」は「焼けたペルセポリスを後にして進軍した」とだけしか語っていません。この簡潔な記述に私は恐ろしさを感じざるを得ません。その後のインド侵攻、嫌気がさした部下たち、仕方なく帰還するアレックス。そして彼の死。なぜか必然に思えてしまいます。
「アレクサンドロス東征記」は間違いなく名著です。読み終えた後の疲労感はアレクサンドロス三世も人であった証なのでしょうか。
第7回 スプーンおばさん Alf Prøysen

今回は Alf Prøysen の Mrs. Pepperpot 。日本人なら「スプーンおばさん」の題名で多くの人が親しんだ童話です。 現代はTeskjekjerringaなので、日本語題名は間違っていません。
ノルウェーの文芸を読むことは日本人にとってあまり機会のないことです。しかし、 Mrs. Pepperpotはかつて世界的に有名になった童話であり、そのため、日本の子供たちも読む機会に恵まれました。しかし、最近、この童話を目にする機会が少なったため、あえてここで紹介します。
このおばさん、何の脈絡もなく、突然小さくなり、動物と話すことができるようになります。時間がたつと元の姿に戻ることから、本人は平然としていて、「家事ができなくなったしまった」程度にしか考えていません。この状況で様々な事件を、独力で、あるいは動物たちと共に解決してゆく剛毅なおばさん。それがスプーンおばさんです。
彼女の理解者であり、彼女を助ける存在がいます。それは「森の近くに住んでいる不思議な雰囲気の女の子」で最後まで、この子が何者かが明かされることがありません。Alfに聞けば、「あなたのご想像の通りですよ」と微笑みながら答えてくれるかもしれません。ちなみに日本の国営放送でこの話がアニメ化した時、この女の子は准レギュラーとして登場します。しかし、アニメでも彼女が何者かが明かされることはありません。
この童話には、よくありがちな教訓などはあまりなく、ただ、おばさんの活躍に心が躍ります。ストレートに子供心を楽しましてくれる作品と言えるでしょう。
裕福ではない環境で生まれたAlf Prøysenは文筆家、シンガーソングライターとして大成しますが、その視点は常に一般民衆の立場から離れることはありませんでした。ノルウェーが誇るAlf
Prøysenをスプーンおばさんを通して知ってもらえればとの思いで、備忘録にこの作品を記録しました。
第6回 うらやましげなるもの 清少納言

雨宿りしていると、隣りの高校生達が盛り上げっていました。この人たち、おそらく、古典エッセイ枕草子の「うらやましげなるもの」をネタに楽しんでいる。凄すぎます。
枕草子は西暦1000年頃に活躍した偉大な歌人で当時の皇后の侍従「清少納言」のエッセイです。これは日本の高校生が学ぶべき古典として教科書に必ずと言っていいくらい収録されているエッセイですが、現代人が簡単に読める文章ではありません。それで盛り上がれる彼らは、かなり名のある高校生に違いない。あるいは彼らの先生が偉大なのか。
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「うらやましげなるもの」は無数に思える鳥居が並ぶ京都が誇る名所「伏見稲荷神社」に清少納言が個人的に参拝したときの話です。皇后の侍従とはいえ、位の低い清少納言は、徒歩で宮中から神社に行くほかありません。しかも、宮中で働く彼女には体力がありません。朝の暗いうちから5マイル以上の距離を歩いて神社の麓にやっとたどり着き、山頂の神社に向かって山を登ってゆきます。しかし、後から来た人たちが自分を追い抜いていくのを見て、疲れ果てた清少納言は涙目で「どうしてこんな暑い日にお参りしたんだろう」と愚痴を言います。普段、気にもかけない人をこんなにも羨ましいと思うなんて。
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後に歌仙(Immortal Poet)と称される清少納言の前で繰り広げられる、1000年以上も前の今日と変わらぬ雑踏、現代人と変わらぬ彼女の感覚に思わず微笑んでしまうのは私だけでしょうか。
最後に、清少納言が残した有名な随筆の英訳を記します。「春はあけぼの」ではじまる彼女のつぶやきは、英語にしても美しく感じます。
“In spring, the dawnーwhen the slowly paling mountain rim is tinged with red, and wisps of faintly crimson-purple cloud float in the sky.” (Meredith McKinney 2006)
第5回 HEY ARNOLD!
今回紹介するのは「HEY ARNOLD!」。特に、Season 1, Episode 18「Arnold's Christmas」は米国が世界に誇るべき感動の名作だと私は思います。
わたしは以前に、米国のPenn Stateでポスドクとして働いていました。夕方、家に帰ってきたとき、テレビに映っていたのがNickelodeonのcartoon「HEY
ARNOLD!」でした。絵柄からわかるように、コメディタッチでアーノルドと愉快な仲間たちがトラブルを起こしたり、トラブルに巻き込まれたり、トラブルを解決します。
私が感心したのは、それぞれのキャラクターの設定の面白さと深さです。アーノルドは素直でやさしいナイスガイですが、両親は行方不明で、賄い付きのアパートを経営する人の良いおじいちゃんとおばあちゃんと暮らしているという重い設定があります。なんだかんだ言って、最後までアーノルドに付き合う親友のGerald。同級生の超「ツンデレ」のHelga。ちなみに、ツンデレは西暦2005~2006年以降で日本のマスメディアで使われるようになった概念であり、1996年に放送を始めたHEY
ARNOLD!が典型的なツンデレキャラのHelgaを登場させたことは特筆すべき先進性です。
さて、この作品、全てのエピソードが面白いのですが、Season 1, Episode 18は特に多くの人に見てもらいたい話です。「Arnold's Christmas」はWikipediaにも記載されているほどの名作なのですから。
アーノルドの祖父母が経営するアパートにはMr. Hyunhというベトナム出身のおじさんがいます。このおじさんには生き別れた娘がおり、その娘との再会をクリスマスプレゼントにしようとアーノルドが親友Geraldと共に奮闘するお話が「Arnold's
Christmas」です。背景があまりにも重いため、製作、放映が困難を極めたこの作品は、製作者たちの不断の努力により、不動の名作として世に放たれました。
娘との再会というメインプロットは当然素晴らしいのですが、最大の見どころは、エピソードを締め括るHelgaの一言です。この一言で、このepisodeはViolet
EvergardenのEpisode 10 “A Loved One Will Always Watch Over You”に勝るとも劣らない作品にまで昇華したと個人的に思っています。日本にもクリスマスにプレゼントを贈る習慣はありますが、その意義は欧米人に比べ、かなり希薄です。このような背景で育った私は、Mr.
Hyunhにプレゼントを送れたことに喜ぶアーノルド達、そしてその彼らに最高のプレゼントを贈れた喜びをかみしめるHelgaが最高にクールだと思いました。
このエピソードは米国ではとても有名だと聞いています。しかし、この話はもっと全世界で広められるべき話だと思っています。
ガリア戦記は西欧を縦横無尽に駆け巡ったカエサルの記録でもあります。まず、スイスで難民問題に端を発した紛争をカエサルが片付けます。次に、ベルギーで大戦争をしてから、大西洋岸で海戦を交えた紛争を鎮圧し、ライン川を渡河して、ゲルマン人に脅しをかけます。泳いだり、船に乗ってライン川を渡河するのは、文明人たるローマ人のすることではない。ローマ人は橋を作り、堂々とその上を行進して対岸のゲルマン人の地に侵攻すべきだとの謎理論で、川幅の広いライン川に橋を架けてしまいます。かけた橋に満足し、「ゲルマン人がビビっているに違いない」と悦に入ります。
その後、海を渡ってイギリスに上陸し、ブリトン人と戦闘を繰り広げます。第二次世界大戦時の英国首相チャーチルは、カエサルの上陸によりイギリスの歴史が始まったと明言しました。このイギリスでの戦いあたりから、数多の歩兵戦、騎馬戦、戦車戦、海戦を交えた、指輪物語ばりの一大スペクタクルは、ガリア全土の大反乱を迎え、最終決戦「アレシアの戦い」というクライマックスに向かいます。ガリアの首魁ウェルキンゲトリクスが逃げ込んだアレシアの城塞都市を包囲するローマ軍を、さらに包囲攻撃するガリア軍。背と腹に大軍を受けた史上初の大規模二重包囲戦を制したのは、カエサルでした。この戦いの最後の場面は「ウェルキンゲトリクスは、自ら進んで捕らわれの身になった」の簡潔な文章だけで結ばれている。そしてカエサル自身が著述したガリア戦記は、「この年の戦果を知るや、ローマでは20日間の神々への感謝祭が決定された」の淡々とした記述で終わっています。
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この一大創作のような戦記を生み出したカエサルの最後で、ガリア戦記の紹介を終わりにします。暗殺されたカエサルの遺体はテヴェレ川の畔で荼毘に伏されました。火勢が弱まり、参列した人々がカエサルの遺灰を集めようとしたそのとき、突然の激しいにわか雨が遺灰をテヴェレ川に流し、消えてしまいました。彼は人間だったのでしょうか。
第4-2回 ガイウス・ユリウス・カエサル 「ガリア戦記」2
ガリア戦記は、カエサルが元老院に送った報告書です。このため、カエサルが三人称で表され、「カエサルは―と判断した。」とか「カエサルは―を攻撃した。」という文体になっています。当時はケルト人、ゲルマン人がローマ領や西欧ガリアのローマの友好都市を攻撃する不安定な時代であり、ガリアを安定化するために元老院が派遣したのがカエサルでした。したがって、現代と同じように毎年の報告書提出がカエサルの義務でした。
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ガリア戦記のデフォルトは、西欧全体の状況説明、事案の発生原因、戦略と軍団の移動、戦場の説明、戦闘準備、戦闘、戦後処理を卓越した文体で客観的に記述する形式です。戦場の説明と戦闘準備は学術論文のように地形、城塞、攻城設備が淡々とではあるが詳細に記述されいます。そして、戦闘の記述には生き生きとした描写が加わります。「カエサルは味方の兵から盾をもぎ取ると、それをかざして最前線まで走り、百人隊長達の名を呼んだ。」ライバル同士の百人隊長2名が功名を争い窮地に陥るも、2人が協力して危機を脱する場面に喝采する兵士達。戦闘中に慢心で深追いして壊滅しかけた部隊を救い、その勇気を称えながらも慢心を叱責し、再び戦場へ戻るカエサルと兵士達。このような息をのむ描写が時間を忘れさせ、いつの間にか戦闘が終了しているのです。特別企画としては、ガリア、ゲルマニアの文化、社会、人の説明し比較と考察を深めることもあれば、ブリテン島の1日の長さの測定といった科学的記述もあります。
さて、この報告書の内容が民衆に伝わることを知っていたあざといカエサルは、随所に自慢をエレガントに織り込んでいます。あまりにも多いので一つだけを紹介します。「元老院はカエサルの功績を称え、(これまでの感謝祭の最長期間は政敵ポンペイウスの7日であったが)15日間の公的な感謝祭supplicatioを祝うことを決定した。」彼が本当に言いたかったのはカッコ内の文章を加えた全文ですが、下品な自慢を嫌う彼はカッコ内を書かなったという塩野七海先生の意見に私は賛成です。
第4-1回 ガイウス・ユリウス・カエサル 「ガリア戦記」
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第4回はガイウス・ユリウス・カエサル(BC100-BC44)、俗にシーザーと呼ばれる男の「ガリア戦記」人間的な魅力に満ち溢れた借金、色恋沙汰、商売、政治、戦争、文芸の超越者がローマ元老院に送った報告書の話。
ガリア戦記の著者カエサルは魅力が尽きない人物です。塩野七海先生は、ローマ1200年の盛衰を描いた超大作「ローマ人の物語」全15巻で2巻をこのカエサルに割いています。両腕を頭の後ろで組んで、裸馬でローマの坂を駆け下りていた少年は、多くの分野で異彩を放ちました。
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借金:カエサルは、負債が余りにも大きくなると、債務者は債権者にとって失うことができない財産になることを教えてくれた。外国の任地に赴く前に、債権者たちが大勢押しかけ、金を返すまで任地にはいかせないとカエサルの出発を阻止した。債権者たちを宥めたのは、カエサルが最も多く借金をしているクラッススであった。
色恋沙汰:多くの元老院議員の夫人がカエサルの愛人であった。このことは公知であったため、不倫とは受け取られなかったようである。多くの愛人がいたのにもかかわらず、愛人たちから恨まれたことはなったという。当時、絶世の美女とうたわれた女性とカエサルとの間に、全く色恋沙汰の話がないのは、彼が美女ならだれでもよいという人ではないことを示唆している。カエサルを暗殺したブルータスの母親は、カエサルの愛人の一人だった。彼女はどのような気持ちでカエサルの死を聞いたのであろうか。
政治と制度:ローマでは持ち出すたびに混乱、死者、政権交代が起きる「農地法」を与党・野党協賛のような形で成立させてしまった。また4年ごとに閏年を入れる1年365日のユリウス暦を制定。それまで密室の会議であった元老院議会の議事録の即日公表。公務員法の策定。

商売:結構すごい。いつの間にか、かれは債務者から債権者にジョブチェンジしていた。カエサルの凱旋式の行進では、彼に付き従う軍団兵からコミカルなシュプレヒコールが一斉に上がった。「ローマ人たちよ、戸締りをせよ、金のないやつは気をつけろ。」ローマの凱旋式では、神々が凱旋式の主役に嫉妬しないように、軍団兵が凱旋将軍をこき下ろすシュプレヒコールを上げるのが習わしだった。「あまりにもひどすぎないか?」とカエサルから軍団兵達に文句を言う一幕もあったが、彼を愛する軍団兵は「当然の権利」として取り合わなかった。
戦争:カエサルは常勝の将軍ではない。負けるときは負ける。しかし、どれほど劣勢でも、ここぞというときは必ず勝つ。アレクサンダー大王が発明し、ハンニバルが再発見し、スキピオが完成させた「機動包囲殲滅戦」を、劣勢ながらファルサスで破った天才である。
文学:カエサル以前、ラテン語はギリシア語に比べて粗削りな部分があり、上流階級や学者はギリシア語を使う傾向が強かった。しかし、カエサルは卓越した文体による客観的で簡潔な記述、生き生きとした描写力、そして政治的な意図を巧みに織り込んだ巧妙さをラテン語で達成した。それが「ガリア戦記」である。ちなみに、このガリア戦記はカエサルの時代から2000年以上経過した現代でも、全世界で重版を重ねている。このような文筆家の夢まで叶えてしまった超人、それがカエサルである。
第3回 ともつか治臣 「令和のダラさん」
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大学教授が漫画を読むのかと聞かれることがあります。もちろん読みます。書店に行くことが少なくなり、書店に行っても、ビニール袋でカバーされ、漫画の内容を確認できない。あるいは電子書籍でも、その面白さがわかる長さまで試し読みができない。そのような現状で、自分が好きになれる漫画に出会うことはかなり難しくなっています。
そんな中、見つけたのが、ともつか治臣先生の「令和のダラさん」です。
姦姦蛇螺というネットホラーをご存じでしょうか。ある村からの依頼で、心優しき巫女が怪物の大蛇と戦い、蛇の魔物となってしまう話です。依頼した村人の策略によって、命を落とし、魔物となってしまう巫女さんの話に一抹の寂しさを私は感じていました。救いがないのです。
そんな元巫女の魔物の現代を描くホラー&コメディが「令和のダラさん」です。この作品では、邪悪な人間も登場しますが、それはごく少数です。上記の村の末裔達も登場しますが、この元巫女さんを取り巻く人たちは、お人好しの善人ばかりです。もっとも、登場人物の中には怪しげな風体な人、目つきが悪そうな人も数多くいますが、ご安心を。善人ばかりです。なお、ともつか先生はこの作品を「美少女が描く、美少女しか出てこない、美少女漫画」と評しています。
いずれにせよ、私はこの作品で「姦姦蛇螺」が救われていることに安堵しています。
第二回 アン・マキャフリー 「歌う船」(The Ship Who Sang)

英語題名を見て、これおかしくね?の感想をもつ日本人は多いのではないでしょうか。船なのになぜ関係代名詞が「who」なの?「which」、「that」が正しいのでは?この物語ではwhoが正しいです。なぜなら......。
アン・マキャフリーの「歌う船」は、恒星間移動が当たり前の時代の話です。この世界では、重度の障害で生命を維持できない新生児がサイボーグとして生きることを親が選択できます。分厚いチタニウムの外殻で保護された新生児は、その中で成長し、外殻の端子に接続されたセンサー、アクチュエーターで健常児と変わらぬ成長を遂げます。このことから、彼らはシェル・パーソンと呼ばれています。面白いのは、シェル・パーソンが非サイボーグの一般人を「少し不便な人たち」として見ていることです。
シェル・パーソンのヘルヴァは、能力・適性の高さから恒星間連合国家の宇宙船の運航を選んだティーンエイジャーです。この恒星間宇宙船はシェル・パーソン(頭脳「Brain」)と乗組員(筋肉「Brawn」)のツーマンセルで運用されるため、2B船(Brain-Brawn
ship) と呼ばれています。そしてヘルヴァは茶目っ気のある若い宇宙飛行士ジェナンに一目惚れし、彼をBrawnとして宇宙を駆けます。
宇宙を駆けながら歌うのが好きなヘルヴァは歌を傍受した多くの人から変な「歌う船」と嘲られます。意気消沈するヘルヴァをジェナンが「美しい。止めることはない。」と励まし続けます。そして彼らが単独で海賊団を撃破した時、「歌う船」は賞賛に変わります。しかし、順風満帆の彼らを悲劇が襲います。避難民の輸送任務中、ヘルヴァは目の前でジェナンを失ってしまうのです。
多くの人は私がネタバレをしていると考えているでしょう。ご安心ください。ここまでがイントロダクションです。悲しみに沈む彼女に次々と臨時のBrawnをあてがい、様々な任務を与える恒星間連合国家。これは、国家が非情なのではなく、誰かの優しい配慮です。文句を言いながらも、Brawnと共に悩み、一生懸命に任務をこなしていくヘルヴァ。多くの事件、出会い、別れが彼女を強くしていきます。
読み終えて思うのは、この作品が働く女の純粋なラブロマンスであり、SFが舞台とディテールに一層の拡がりと深みを与えていることです。ハッピーエンドに「本当に良かった。」と満足できる作品の一つではないでしょうか。
この作品で驚くのが、1961-1969の間に発表されたされた作品とは思えない程の新鮮さです。SFだから時代を感じさせないのは当然との意見もありますが、巨匠の作品でも執筆された時代を反映した記述は多く見られるものです。しかし、「歌う船」ではそのような時代背景をほとんど、あるいは全く感じることがありませんでした。名作は色褪せないとはまさにこの作品に当てはまるのではないでしょうか。
「歌う船」は日本の漫画、アニメ、ライトノベルに大きな影響を与えたと考えられています。それは機械の体のヒロイン像です。この作品以降、同様の設定をもつ作品が当たり前になったと評されています。
最後に一つ。ヘルヴァのコードネームは「The ship who sings」。本作品のタイトルは「The Ship Who Sang 」。こんなところからも、作者のセンスの高さが感じられます。この作品が米国の誇る著作の一つではないでしょうか。
第一回 H. P. ラヴクラフト(1890-1937)
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私は漫画を含めた多くの著作が好きです。その中から、お気に入りの作家を紹介します。中二病を患った方のほどんどが知っているH. P. ラヴクラフトです。米国屈指の作家の一人だと私は思っています。
彼は、友人への手紙でこう記しています。「私には、フランケンシュタインや狼男が怖いものには思えないのです。」H. P. ラヴクラフトの著作を読むと、彼が、恐怖の対象を具体的に表記しないことがどれほど恐ろしいかを示した先駆者・天才であることがわかります。映画The
Blair Witch Projectとか、小説「リング」の恐怖に通じるものがあります。
手紙魔の彼は友人に次のような手紙を送っています。「私は旅行が好きです。しかし、お金があるときは体調が悪く、体調が良いときにはお金がありません。旅行を楽しむことができないのです。」ラヴクラフトは不遇のまま生涯を終えました。しかし、現在では、世界中で多くの人が彼の著作を愛読していること、彼とその弟子の作品をモチーフにしたゲームが毎年のように発表されていることが彼の魂の救いになっているかもしれません。